ホームへ戻る






2度目の渡独(高校3年次夏)現地編2


先生に再会できた私は、その後彼の紹介で、ある寮の部屋に移り、帰国するまで3週間ちょっと、そこに滞在しました。
2人部屋だったので友達も出来たし、先生と先生の娘さん(ほぼ私と同い年)も同じ寮に滞在していたので、あまり退屈することなくすごしました。

今回は学校に入ってなかったため、食事も3食自分で準備しなくてはなりませんでした。
私がどんなものを食べていたか、書きましょう。
まず、毎日食べたのは、ヨーグルトです。
果物入りのヨーグルトの種類が豊富で、値段も50ペニヒくらい(当時35円くらい?)と、安かったので、お腹を壊さないようにと、毎日一つは食べていました。
でも、冷蔵庫がなかったので、買い置きが出来ず、毎日買いに行って・・・(笑)
そのおかげか,その滞在中、一度も腹痛を起こしませんでした。
水は、実はドキドキしつつも水道水を飲んでました。
飲めない地域もあるようなので、旅行者にはホントはおすすめできませんが、フライブルクの水は、大体飲めるみたいです。

その寮には、なぜかキッチンがなかったので、自炊は出来ず、外食するか、スーパーでパンやチーズ、果物などを買ってきて部屋で食べる事がほとんどでした。
チーズは、ハム入りのものがあって、それが、あまりチーズっぽすぎない味なので、好きになり、今でもお気に入りです。
あと、サラダなんかも、グラム単位で買えるところがあるので便利でした。
グラム売りといえば、果物や野菜もほとんどがそうです。
お店によって違いますが、自分で好きなだけ袋に入れて秤にのせ、果物や野菜の番号を押すと、値段が書いてあるシールが出てくるので、それを袋に貼ってレジに持っていく、というシステムが多いようです。
ドイツにもマクドナルドがありますが、あまり安くなく、味も日本のものと多少違う気がします。
でも、メニューのドリンクの所に「ビール」があるのは、さすがドイツだと思いました。

滞在中、私は絵を描いたり、手紙を書いたり、ちょっと勉強したりしながらすごしましたが、実は、ちょっとだけ学校にも通いました。
一人くらい生徒が増えたって構わないだろう、「それに、君は僕の娘だし」と言って、先生が私をタダでクラスに入れてくれたのです。
そこで、私は授業に参加してみたのですが、結局、3日坊主状態で止めてしまいました。
というのは・・・、まず、そのクラスは、先生(別の女の先生でした)を含めて、何と全員がフランス人だったのです!
始めに、先生に、どれくらいドイツ語を勉強しているのか、などを聞かれ、一年だと答えると、
「まあ、その割にはすごくしゃべれるのね。うちの生徒達よりよっぽどできるわ。」と驚かれました。
お世辞だろうと思っていたのですが、その時、私を見つけた一人の男の子が
「Hi! Where are you from? What´s your name?」と聞くのです・・・英語で!
英語で答えてもしようがないので、「それはドイツ語で何と言うの?」と聞くと、答えられないのです・・・。
授業はほとんどフランス語で行われ、「昨日何をしたかドイツ語で言ってみましょう」と言われても、言えずにフランス語で言う(意味ないよ・・・)、私との会話は英語で済まそうとする・・・など、みんな3年以上もドイツ語を習っているにしては、ひどすぎて呆れ果ててしまいました。
そういう理由で、私は学校に行かなくなったのです。

夜はよく、先生と娘のジュリー(*仮名)近くの居酒屋(?)に行きました。
そこには、なぜか月曜日だけですが日本食があり、一度すき焼きを食べたこともあります。
そこの女主人が先生と仲がいいので、おつまみを食べながら、よく、遅くまで話しをしました。

そうして、楽しい日々を送っているうちに、帰国の日はまた、やってきました。
私は、前回以上に帰りたくない気持ちでいっぱいでした。
そして、最後の夜は一人で泣きました。
その日のことは、今思い出しても本当に悲しくなります。


しかし、思い続けた夢は叶いました。

その、ほぼちょうど1年後の8月31日、私は3度目の渡独を果たし、以来フライブルクの青く広い空の下で暮らしています。



戻る 体験記目次 次へ

Coppy right (c) 2002 kitty-kitty. All Rights Reserved

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送